·
分離したわたしがわたしだと信じてやまない時は
満たされない欠乏感を
外側にある状況や出来事や物から
幸福や平安を求め埋めようとします
それはうまくはいきません
外側のものからの満足は一時的で
決して埋めることはできないからです
安らぎや平安や幸福を求めた人間関係は破綻します
誰もそれを埋めることなどできないからです
分離している自分からは
人間関係は
自分を満たしてくれる人を求め
自分に苦痛を与える人を排除しょうとします
その求めたり排除しょうとするのは
一体誰でしょう?
何を満たそうとしているのでしょう?
何を守ろうとしているのでしょう?
それらの動きを明らかに直視し
分離したわたしはわたしではなく
すべての根底にある意識がわたしだと明らかになるとき
求めていた平安は
わたしたちの本来ある自然な質だと明らかになってきます
すでに平安そのものだったのです
それが浸透すればするほど
何かを埋める理由で人との関係を結ぶことはなくなり
わたしを平安やしあわせにして欲しいと他の人へ求める衝動がうすれていきます
それと同時に
他の人が求めるものを埋めないとという不可能な衝動もなくなり
人間関係は
気づきや平安を分かち合い共感し祝福の関係となります
それは親子やパートナー 友人
関わる人すべての関係に言えること
本来の自然な人間関係です