前回のつづき
嫌なことやひとから逃げてもいいの?
じゃあ
すべて自分の鏡や
自分が世界を創り出してるから自分が変わらないと。。。思っているけどそれとはちがうの?
いいところもあるし
嫌だって思っていいのかな?
わたしもここで随分検討ちがいにがんばった時期もありました
本当に悪いひとなんていません
でも。。
どんなにそれを知ってても
どんなに言い聞かせても。。。
嫌やなもんは嫌なんだー!!
ってなったことありませんか?笑笑
明らかに感覚がそう訴えてきてるときはこんな観念は 本当に感じている感覚を打ち消すワナになるだけです
感受性豊かさんは共感力が強く良心的で真剣に考えるので(いい意味で)
こう感じる自分がわるい と感じる気持ちを克服しなきゃ!に向いてしまいがちです
すると 感じる感覚が全面に閉じてしまって
いやだ
嫌いって思ってはいけないと
感覚をフタしたり
気づかないようにしたり
はじめからなかったことにしてしまい
しあわせやよろこびを感じる感度も閉じてしまいます
正しく生きようとするより
楽しく 心地よく生きる
それにつきます
淡水魚と海水魚がいるように
熱帯バナナが極寒地区では育たないように
ちゃーんとそのデザインに合った快適な領域や健全な距離感があるのです
湧き起こる感覚をうち消そうとするあたまのささやきのワナには
はまらないでくださいね
でもこれは
自分の考えが創り出してる物語を信じて
あるがまま見えなくなって不要な不安やおそれにかき立てられてることとはまったくちがいます
そこにはまりこんでいることと
純粋に湧き起こる感覚を信じることは
似て非なるもの
そこを混同してしまうと
ハテナ?になります
人生をマニュアル化しないこと
方法やどうしたらいいか?の
あたまより湧き起こる感覚に耳を傾けることからはじまります
それが自分を大切にして生きるってこと
そして
イヤだ
嫌いだ
って思ってもいい
そこに自然で健やかな感覚が養われていきます
わたしたちが自分を大切にして
自分の心地よい しあわせを核に生きていたら
それは宇宙の果てまで響き合っています
わたしたちは本来
もうそれだけで
ココロもカラダも健やかに元気に
生きてゆけるようになっています