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表層的に移りゆく現象に
「変容」という名前をつけていただけだった
それらは ただ その時 その時
全体性のあらわれとして
それが あらわれているだけだった
変容し
今よりもっと〇〇な自分に!
こんな自分はまだまだ。。
理想を追い求めている自分は
今ではない何かを求めて 落ちつかず
どこまでいっても 満足することはない
これがわるいとか そういうことでもなく ただ 分離していると思ってる自分の性質なだけ
変容の暁には!
は はじめから 蜃気楼のようなものだった
確かに瞑想は わたしにたくさんのことをもたらしてくれました
しかし 本当に瞑想が役にたったこと
それは
考えや 湧き起こる気持ち
起こってくることや 出来事はわたしではないという理解と確信でした(本当は 確信した誰がもいないのですが)
そして 瞑想している 個人的なわたし
変容している わたしなど
はじめからいなかったのだ
それらはただ個人的なわたしの努力や関与なしに
すべて 起こっていただけだった
それでも いま わたしというあらわれは
日々瞑想することが 変わらず起こっています
しかし そこには
変容や浄化などの目的や
今以外の何かにならなければ という動きも抜け落ちています
そして 探しつづけていたものは
個人的なわたしが成るものではなく
わたし が抜け落ちたとき
はじめから そこにあり
いつも それ そのものでした
それでは
瞑想した方がいいのか?
瞑想しなくてもいいのか?
それは どちらとも言えない
ただ そのあらわれに瞑想することがプログラムされていれば
全体性の中で 瞑想に出会い
瞑想に惹かれ
瞑想することが起こってくるのでしょう
すべては
一見 個人的に選択しているように見えて全体性で起こっている